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日本スポーツ協会からのお知らせ:index

ニュース2009/10/15

「故古橋 廣之進さん お別れの会」を挙行

  (財)日本体育協会、(財)日本オリンピック委員会、(財)日本水泳連盟の3者合同による「故古橋 廣之進さん  お別れの会」が10月14日(水)、東京都青山葬儀所にて執り行われました。

  式典では、発起人を代表して森喜朗本会会長が追悼の辞を述べた他、竹田恆和日本オリンピック委員会会長、佐野和夫日本水泳連盟会長、北島康介選手らが弔辞を読み上げ、参列者による献花が行われました。
  また、当日は水泳関係者を含む、幅広いスポーツ界関係者や一般の方など約2000名の方が参列され、長年にわたり日本と世界のスポーツ界の発展に大きく寄与された故人との別れを惜しみました。

【森会長による追悼の辞(全文)】
  本日、「故古橋廣之進さん  お別れの会」が、しめやかに執り行われるにあたり、日本体育協会、日本オリンピック委員会、日本水泳連盟をはじめ、スポーツ界を代表し、謹んで追悼の辞を申し上げます。

  今年の8月、イタリアのローマで行われた水泳の世界選手権大会の開催中に、ご逝去されたという一報を耳にしました。突然の訃報に、信じられない思いと同時に悲しみがこみ上げてきました。一方で、生涯、水泳に命を懸け愛し続けられた、古橋さんらしい最期であったという思いでした。

  古橋さんの数多いご功績の中で強く脳裏に去来いたしますことは、昨年の11月、古橋さんのスポーツを愛する熱い思いと信念に支えられた献身的なご活躍が高く評価され、競技者として初めて、文化勲章受章の栄に浴されたことです。これまで、この受章への思いは、まさにスポーツ界の悲願でありました。私もスポーツ界に長年携わってきましたが、古橋さんの受章ほど誇らしく思ったことはありませんでした。そして、今年の1月に行われた受章の祝賀会で古橋さんが述べられた、「スポーツ界の社会的評価を高めたいと思ってきた」というお言葉は、今も深く胸に刻まれております。

  古橋さんの座右の銘は「泳心一路」でした。これは、戦後、古橋さんが水泳競技を再開された時、水泳ができる喜びとともに、世界一になることを目標に、「魚になるまで泳ごう」という強い決意を表わすものと伺っております。

  この決意の下、猛練習を重ねられ、敗戦からわずか4年後の1949年8月、招待された全米男子屋外水上選手権において、古橋さんは400m、800m、1,500mの自由形で世界新記録を樹立しました。このニュースは、戦後、失意のどん底にあった国民に、明るい光と活力、希望を与え、戦後の復興に大きな力を与えて下さいました。  古橋さんのこの快挙は、世界中の驚異と賞賛の的となり「フジヤマのトビウオ」の伝説が生まれ、現在も語り継がれております。

  また、古橋さんは競技生活を終えた後も、日本水泳連盟や日本オリンピック委員会の役員・会長として、水泳競技の発展と国際競技力の向上、そして、我が国スポーツ界の発展のためにご尽力いただくとともに、国際水泳連盟や国際大学スポーツ連盟など、国際的なスポーツ組織の要職を歴任され、世界のスポーツ界においても歴史に名を残すご活躍をされました。

  古橋さんには、ご生前、「2016年オリンピック・パラリンピック競技大会」の東京開催について、大変、ご尽力をいただきました。私達、招致に関係する者は、10月2日、コペンハーゲンで開催されたIOC総会における開催地の決定直前まで頑張って参りました。しかし、残念ながら、東京開催の決定に至らなかったことをご報告しなければなりません。古橋さんに対し、このことを関係者一同、反省いたしますとともに、お詫びを申し上げます。

  今、日本のスポーツ界には、次のステップに向けて新しい方向性の構築と、その基盤づくりへの取り組みが求められております。この時期に、偉大な指導者である古橋さんがこの世を去られたことは、誠に大きな損失であります。

  ここに、私達スポーツ関係者は、悲しみのうちに心から哀悼の意を表しますとともに、古橋さんが長年スポーツ界に寄せられた情熱とご尽力に、心から感謝しつつ、これからの日本スポーツ界の発展のためにさらに邁進していくことをお誓い申し上げます。

  古橋廣之進さん、長い間、本当にありがとうございました。

  どうか安らかにお眠りください。