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いだてん×JSPOいだてん×JSPO

image image 〜東京オリムピック噺〜 2019年NHK大河ドラマ【脚本・宮藤官九郎】

JSPOはいだてんの舞台であり、
資料提供をはじめ撮影協力をしています。

日本で初めてオリンピックに参加した男、
金栗四三と、
日本にオリンピックを招致した男、田畑政治。
この2人がいなければ、
日本のオリンピックはなかった。

JSPOに関わる主な登場人物

嘉納治五郎
嘉納治五郎

かのうじごろう

1860年生まれ(万延1~昭和13)
NHK大河ドラマ「いだてん」では第1話から重要人物として登場。
大日本体育協会の初代会長(現在のJPSO、日本スポーツ協会)であり、
“日本スポーツの父”。
講道館創始者で、アジア初のIOC(国際オリンピック委員会)委員。

JSPOのあゆみ
岸清一
岸清一

きしせいいち

1867年生まれ(慶応3~昭和8)
NHK大河ドラマ「いだてん」後編で、
1940年東京オリンピック招致に関わる重要人物として描かれている。
ドラマ当時の大日本体育協会第二代会長(現在のJSPO、日本スポーツ協会)。

田畑政治
田畑政治

たばたまさじ

1898年生まれ。(明治31〜昭和59)
NHK大河ドラマ「いだてん」後編で主人公としてフォーカスされる人物。
1964年東京オリンピック招致成功に貢献し、
1983年には日本体育協会名誉副会長(現在のJSPO、日本スポーツ協会)となる。

人物アイコン
よみがな
氏名

(当協会初就任役員名 就任年)
〔「いだてん」中で演じた俳優名〕

大森兵蔵
おおもりひょうぞう
大森兵蔵

(大日本体育協会総務理事 明治45)
〔竹野内 豊〕

永井道明
ながいどうめい
永井道明

(大日本体育協会総務理事 明治45)
〔杉本 哲太〕

武田千代三郎
たけだちよさぶろう
武田千代三郎

(大日本体育協会副会長 大正2)
〔永島 敏行〕

可児徳
かにいさお
可児徳

(大日本体育協会総務理事 大正2)
〔古舘 寛治〕

三島弥彦
みしまやひこ
三島弥彦

(大日本体育協会総務理事 大正2)
〔生田 斗真〕

杉村陽太郎<
すぎむらようたろう
杉村陽太郎

(大日本体育協会理事 大正10)
〔加藤 雅也〕

山本忠興
やまもとただおき
山本忠興

(大日本体育協会専務理事 昭和4)
〔田中 美央〕

野口源三郎
のぐちげんざぶろう
野口源三郎

(大日本体育協会理事 昭和4)
〔永山 絢斗〕

松沢一鶴
まつざわいっかく
松沢一鶴

(大日本体育協会専務理事 昭和8)
〔皆川 猿時〕

東龍太郎
あずまりょうたろう
東龍太郎

(大日本体育会会長 昭和22)
〔松重 豊〕

小池礼三
こいけれいぞう
小池礼三

(日本体育協会理事 昭和31)
〔前田 旺志郎〕

津島寿一
つしまじゅいち
津島寿一

(日本体育協会会長 昭和34)
〔井上 順〕

平沢和重
ひらさわかずしげ
平沢和重

(日本体育協会理事 昭和35)
〔星野 源〕

高石勝男
たかいしかつお
高石勝男

(日本体育協会理事 昭和36)
〔斎藤 工〕

古橋廣之進
ふるはしひろのしん
古橋廣之進

(日本体育協会理事 昭和56)
〔北島 康介〕

河野一郎
こうのいちろう
河野一郎

(田畑の同僚
日本陸上競技連盟 会長 昭和40)
〔桐谷 健太〕

嘉納治五郎の
生い立ち

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1860年(万延元年)
兵庫県御影村出生
1874年(明治7年)
官立外国語学校入学(同年中に改称後の官立英語学校)
1875年(明治8年)
官立英語学校卒業、開成学校(後に改称後の東京大学)入学
1877年(明治10年)
天心真楊流柔術家、福田八之助に入門
1881年(明治14年)
東京大学文学部政治学及び理財学卒業
1882年(明治15年)
下谷区北稲荷町(現在、台東区東上野)永昌寺本堂の一部を道場にあて柔道の稽古指導を開始(講道館創立)
1893年(明治26年)
高等師範学校校長兼文部省参事官就任
1909年(明治42年)
第10回国際オリンピック委員会総会(ベルリン)にて東洋ではじめての国際オリンピック委員に推薦
1911年(明治44年)
大日本体育協会を創立し会長就任
1912年(明治45年)
第5回オリンピック(ストックホルム)大会に金栗四三、三島弥彦を引率し団長として初参加
1920年(大正9年)
第7回オリンピック(アントワープ)大会に臨席
1921年(大正10年)
高等師範学校校長退任
大日本体育協会会長を辞任し、名誉会長に推薦され就任
第五回極東選手権競技大会(上海)に国際オリンピック委員として出張
1932年(昭和7年)
国際オリンピック委員会総会(ロスアンゼルス))にて東京への1940年開催オリンピック招致について表明
1933年(昭和8年)
国際オリンピック委員会総会(ウィーン)にて東京開催招致活動
1934年(昭和9年)
国際オリンピック委員会総会(アテネ)東京開催招致活動
1936年(昭和11年)
国際オリンピック委員会総会(ベルリン)にて第12回オリンピックの東京開催決定
第12回オリンピック(東京)大会組織委員就任
1938年(昭和13年)
カイロよりの帰途、太平洋上氷川丸船中にて5月4日逝去
5月9日講道館大道場にて大日本体育協会、講道館、茗渓会、第12回オリンピック東京大会組織委員会の合同葬により葬儀が行われる

岸清一の
生い立ち

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1867年(慶応3年)
8月3日(旧暦7月4日)、父岸伴平、母元の長男として島根県松江市雑賀町に誕生
1885年(明治18年)
帝国大学法科大学に入学
帝国大学運動会委員として活動
漕艇選手として活躍
1889年(明治22年)
帝国大学法科大学を卒業し、弁護士となり事務所を開設
1908年(明治41年)
法律視察のため英国へ渡航した際に第四回国際オリンピック競技大会(ロンドン)を観戦
1910年(明治43年)
法学博士の学位を授与される
1911年(明治44年)
大日本体育協会創立、翼賛員・維持員として財政的に活動を支える
1915年(大正4年)
東京弁護士会の会長に就任
1917年(大正6年)
第三回極東選手権競技大会(東京)の開催に大会第二副会長として尽力
1919年(大正8年)
大日本体育協会の理事に就任
1920年(大正9年)
日本漕艇協会創立、会長に就任
1921年(大正10年)
大日本体育協会の第二代会長に就任
第五回極東選手権競技大会(上海)に日本選手団を率いる
1923年(大正12年)
第六回極東選手権競技大会(大阪)を大会会長として主宰
関東大震災直後に第八回国際オリンピック競技大会への参加を宣言
1924年(大正13年)
紺綬褒章を授与される
国際オリンピック委員会委員に就任
第八回国際オリンピック競技大会(パリ)に日本選手団を率いる
内務省主催の第一回明治神宮競技大会に大会顧問として参画
1925年(大正14年)
第七回極東選手権競技会(マニラ)に日本選手団を率いる
1927年(昭和2年)
第一東京弁護士会の会長に就任
オリンピックへの貢献が認められ仏国からレジオン・ドヌール勲章を授与される
大日本体育協会を財団法人組織とするのに尽力し、基金の一部として三万円を寄附
1928年(昭和3年)
第九回国際オリンピック競技大会(アムステルダム)に日本選手団を率いる
1929年(昭和4年)
体育運動審議会委員に就任
1930年(昭和5年)
第九回極東選手権競技大会(東京)を大会会長として主宰
1932年(昭和7年)
貴族院議員に就任
東京に第十二回国際オリンピック競技大会を招致するための招請状を提出
第十回国際オリンピック競技大会(ロサンゼルス)に日本選手団を率いる
天皇陛下に第十回国際オリンピック競技大会に関する講話を進講
1933年(昭和8年)
10月29日、逝去
11月1日青山斎場で葬儀が行われる。国内諸競技団体の団旗が遺影を囲み弔意を表す体育葬を行う
1941年(昭和16年)
故岸清一の遺志を汲んだ遺族による寄附金八十万円により、初代「岸記念体育会館」(駿河台)を建設
1964年(昭和39年)
第二代「岸記念体育会館」(代々木)を建設

田畑政治の
生い立ち

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1898年(明治31年)
12月1日、静岡県浜松市で生まれる
幼い頃に大病を患い、大好きな水泳を断念。水泳指導に情熱を傾けるようになる
1919年(大正8年)
東京帝国大学(現在の東京大学)主催の戸田水上大会に浜名湾チームの監督になる
1924年(大正13年)
朝日新聞社に入社。政治部の記者になる。以降、政治記者と水泳指導者の二足の草鞋を履いて活動
1929年(昭和4年)
大日本体育協会(現在のJSPO、日本スポーツ協会)理事に就任
1930年(昭和5年)
大日本体育協会の専務理事に就任
1931年(昭和6年)
田畑が提案した日米対抗水上競技大会の第1回大会が開催され、日本の優勝を導く
1932年(昭和7年)
第10回ロサンゼルスオリンピック大会では、水泳日本選手団の総監督として、選手団をメダルラッシュに導く
1936年(昭和11年)
第11回ベルリンオリンピック大会では、日本選手団の本部役員として活動
1939年(昭和14年)
日本水上競技連盟(現在の日本水泳連盟)の理事長に就任
1946年(昭和21年)
大日本体育会(現在のJSPO、日本スポーツ協会)の常務理事に就任
1948年(昭和23年)
日本水泳連盟の会長、朝日新聞東京本社代表取締役、大日本体育会オリンピック委員会の名誉主事に就任
1952年(昭和27年)
日本体育協会(現在のJSPO、日本スポーツ協会)の専務理事、日本体育協会国際スポーツ委員会の総務主事に就任
第15回ヘルシンキオリンピックでは、日本選手団団長として活動。朝日新聞社を退社
1953年(昭和28年)
日本体育協会日本オリンピック委員会の総務主事に就任
1956年(昭和31年)
第16回メルボルンオリンピック大会では、日本選手団の団長として活動
1957年(昭和32年)
オリンピック招致対策懇談会世話人5名のうちの1人に抜擢され、東京オリンピックの招致活動に尽力する
1958年(昭和33年)
第3回アジア競技大会(東京)組織委員会の事務総長に就任
1959年(昭和34年)
東京オリンピック準備委員会委員、第18回東京オリンピック大会組織委員会委員、組織委員会事務総長に就任
1961年(昭和36年)
日本水泳連盟の名誉会長に就任
1971年(昭和46年)
日本体育協会の副会長に就任
1973年(昭和48年)
日本体育協会日本オリンピック委員会委員長に就任
1977年(昭和52年)
日本体育協会日本オリンピック委員会名誉委員長に就任
当時のキラニンIOC(国際オリンピック委員会)会長の日本訪問時に、功労賞(オリンピック・オーダー、銀賞)を受賞した
1983年(昭和58年)
日本体育協会名誉副会長に就任
1984年(昭和59年)
8月25日都内にて逝去
9月19日には岸記念体育会館講堂(渋谷区神南)にてスポーツ葬が執り行われる

いだてん×JSPOゆかりの地

岸記念体育会館
岸記念体育会館

岸清一の名前を冠した建築物。JSPOのかつての本拠地。1941年3月22日神田駿河台(御茶ノ水)に落成。
戦後同名称のまま1964年7月10日渋谷区神南に竣工。

JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE
JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE

新国立競技場と神宮球場の隣に位置するJSPOの現在の本拠地。2019年4月30日に竣工。
最上階である14階に「岸清一メモリアルルーム」を設け、永くそのご遺徳を顕彰することとした。

【「いだてん紀行」第32回】にて岸清一およびJAPAN SPORT OLYMPIC SQUAREが紹介された。

明治神宮外苑競技場
明治神宮外苑競技場

当時の科学技術を最大限駆使して設計された競技場。昭和32年1月に新たに国立競技場を建設するために取り壊された。

【第23回放送】内では、東京での五輪開催に向けた第一歩として、本競技場の建設が待望される様子が描かれた。

神宮プール、明治神宮外苑水泳場
神宮プール、明治神宮外苑水泳場

田畑政治らが建設を提案し、大日本体育協会(現在のJSPO、日本スポーツ協会)岸会長が力となって建設を進めた競泳と飛込みのプール。

【第27回放送】で田畑が世界基準の競技用プールを建設しようと発起するシーンが描かれている。
【第28回放送】では第一回日米対抗水上競技大会が開催される。

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