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私の「フェアプレイ」論

バルセロナ・オリンピック女子柔道52㎏級の銀メダリストであり、現在は静岡文化芸術大学の准教授である溝口紀子先生の人生は、まさに文武両道の道を歩んできた実践者であるといっても過言ではない。今回は、スポーツ界の論客でもある溝口先生による、指導者と選手に求められる「フェアプレイ論」及び「体罰問題」について、しっかりと耳を傾けてみたい。
(注)本記事内容はベースボール・マガジン社発行「コーチング・クリニック」2013年8月号に掲載されたものです。

溝口紀子に聞く 

私の「フェアプレイ」論
 
 静岡文化芸術大学 文化政策学部国際文化学科 准教授、
バルセロナ・オリンピック女子柔道52㎏級銀メダリスト

フランスで学んだ
貴重なコーチ経験



 ──先生は、2002〜04年にフランス柔道ナショナルチームのコーチとして、渡仏されていますが、きっかけは何だったのでしょうか?

溝口 00年、文部省(当時)の在外研究員としてフランスに渡った際、ナショナルチームを指導したのが1つのきっかけとなりました。帰国の際、「今度はコーチとして来てくれないか」という打診を受けたのですが、その場で答えを出すわけにもいかず、一度はお断りしました。が、その1年後に再びオファーをいただき、決断したというわけです。当時のナショナルチームは、ちょうど今の日本のように低迷期で、ドラスティックに改革を断行したい。そのためには外国人コーチを招き入れたい、という意図があったようです。

──先生は、現役当時、寝技を得意とされていましたが…。

溝口 (笑)私に期待されていたことも、寝技の強化のためというのが、その目的の1つだったようです。

──柔道の“宗主国”である日本人コーチに求められることは、もちろん技術以外の面もあったのではないかと思います。

溝口 attitude(態度)ですね。日本人ならではの観念、特に柔道に対する考え方や礼法の根底には、毅然とした態度のなかにも“相手を敬う心”がありますが、その部分の指導というのは一歩間違えれば誤解を生みやすい。“毅然”が過ぎれば横柄と受け取られかねないし、“敬う”が過ぎれば迎合と受け取られかねませんからね。したがって、日本人として何を伝えるべきか、一方で彼らから日本人はどう見られているか、というところは常に意識していました。心の変化というのは隠しようがないもので、自らの“態度”に端的に表れるものですからね。

──「礼に始まり礼に終わる」も、実は形だけではなく、心が伴っていなければ、本当の意味での礼になっていないということでしょうね。まさにフェアプレイにも通じる話だと思います。

溝口 私がコーチに就任した当初は、ガムをかみながら道場に入ってくる選手もいました。道場は、心・技・体を鍛え、同時に涵養する場です。当然、礼を欠いてしまってはダメだし、ただ強いだけでもダメ心と技と体とが三位一体となって初めて昇華されていくのが、武道本来の求める理想の姿ですからね。もちろん、私自身が率先垂範して取り組まなければ、ただ口先だけの指導ではなかなか理解してもらうのは難しいし、ましてや日本の伝統文化の一方的な押しつけだけではなかなか受け入れてもらえるものではありません。そういう意味では、フェアプレイは選手にだけ求めるものではなく、指導者自身も、選手に対してフェアプレイの態度で接しなければならないということだと思います。

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