10月26日(木)、当協会の森岡裕策専務理事他職員が、第2代会長岸清一先生の命日(10月29日)を前に、お墓参り(青山霊園)を行い、当協会の1年間の活動を岸先生に報告しました。
当協会(当時 大日本体育協会/現 日本スポーツ協会)をはじめ、各競技団体が所在していた岸記念体育会館は、岸先生のご遺志による寄付により、昭和16(1941)年、初代会館が現在の千代田区神田駿河台に建設されました。
当協会はじめ各競技団体が一つの会館に所在することで、スポーツ界が一体的に活動できる環境が整えられ、その後のオリンピック競技大会への派遣や開催、国民体育大会の開催といったような各種の総合競技大会に関する調整が円滑に行われるなど、我が国におけるスポーツ界の活動を支える礎となりました。
その後、昭和39(1964)年、第18 回オリンピック東京大会開催に合わせ2代目となる会館が渋谷区神南に建設され、約55年にわたって日本スポーツ界の拠点としての役割を長年果たしました。
そして、岸記念体育会館の機能と役割を継承した現在のJAPAN SPORT OLYMPIC SQUAREが平成31(2019)年4月に竣工し、これまでのご功績に感謝するとともに、14階会議室の名称には、岸先生の名を冠した「岸清一メモリアルルーム」とし、岸先生の功績年表を掲出したギャラリーを14階ホワイエに設置しました。
また、正面玄関には、岸記念体育会館から移設した岸先生の胸像を設置しており、岸記念体育会館の歴史と経緯を後世に伝承していきます。
当協会は、岸先生のご功績に改めて感謝の意を表すとともに、今後もそのご功績を引き継ぎさらなるスポーツの推進に取り組んでまいります。
岸清一先生 略歴
慶応3(1867)年
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松江藩(現 島根県)に生まれる |
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東京帝国大学在学中、漕艇(ボート)選手として活躍 |
明治26(1893)年 |
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弁護士登録
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明治43(1910)年 |
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法学博士
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明治44(1911)年 |
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大日本体育協会立ち上げに参画 |
大正4(1915)年 |
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東京弁護士会 会長就任 |
大正6(1917)年 |
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第3回極東大会 競技委員就任 |
大正8(1919)年 |
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大日本体育協会 理事就任 |
大正9(1920)年 |
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日本漕艇協会(現日本ローイング協会) 初代会長就任 |
大正10(1921)年 |
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大日本体育協会 第2代会長就任 |
大正13(1924)年 |
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国際オリンピック委員会(IOC) 委員就任 |
昭和2(1927)年 |
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レジオン・ドヌール勲章(フランス) 授与 |
昭和7(1932)年 |
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貴族院勅選議員 就任 |
昭和8(1933)年 |
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逝去 |