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一歩踏み出すための「スポーツ宣言日本」※平成24(2012)年5月発行のSports Japanに掲載したものです

社会に誇れる人間をつくる

平成23(2011)年、創立100周年を迎えた日本体育協会と日本オリンピック委員会は、同年7月に行った記念式典の席上において『スポーツ宣言日本~21世紀におけるスポーツの使命~』を発表した。
この宣言は、100年にわたり日本のスポーツが積み重ねてきた歩みをもとに、次の100年をどのような考え方に立ちどこへ向かって進んでいくべきかの指針を示すとともに、日本のスポーツにかかわるすべての人々に、「スポーツとは何か」について自発的に考えるヒントを提供している。
そこで、宣言をとりまとめた佐伯年詩雄氏が、さまざまな分野からゲストを迎え、共に語り合いながら宣言の全容を自らひも解いていく。
第1回は、ふたりの女性オリンピアンと、宣言に込められた理念と意義について語り合ってもらった。

昨年、スポーツ界では立て続けにいろいろな出来事がありました。その中で一番大きかったことは、スポーツ振興法が50年ぶりに改正されて「スポーツ基本法」が定められたことです。いわば、これからのスポーツ界の行動を規定していく法律です。
一方で、100年の歴史を積み重ねてきた日本のスポーツの本質的な部分から出てきたメッセージといえるのが、「スポーツ宣言日本」でした。

佐伯 佐伯
日体協の創立100周年記念事業の標語が、「誇れる未来にあらたな一歩」という非常に素晴らしいものでした。その“一歩”の方向を定めなければいけないということで、4回にわたりシンポジウムを開き、その議論から日本のスポーツが歩む方向性を導き出そうということになりました。それらの議論のまとめがこの宣言です。
 私たちは100年を振り返ってこれからの100年を展望することを試みました。ちょうど100年前に嘉納治五郎先生が「日本のスポーツをこうしよう」と決意して、その目標を自覚し、スポーツ人を集めて組織を作り、代表を世界に送るという志を立てて実現させたように、いまの日本のスポーツが100年後の子どもたちに引き継ぐものを残すために、私たちは自覚的に歩む必要があります。世の中の流れではなく、自発的にスポーツがイニシアティブをもって自分の運命を決めて、できるだけいいものを100年後の子どもたちに残していこう、と考えました。
 これからは、いままでの100年のように放っておいても成長していく時代ではありません。自覚的に志をもって取り組まなければ、スポーツは発展していかない。その決意の表明として、「スポーツ宣言日本」を作りました。

“宣言”で生まれた“自信”

橋本さん、ゼッターランドさんのおふたりは昨年、100周年の式典で発表されたこのスポーツ宣言をどのように受け止めましたか。

橋本
これからのスポーツのあり方というものが、スポーツだけのものではなく社会とのかかわりが深まっていく、という部分が非常に素晴らしいと思います。もうひとつは、私たちのように現場でスポーツを作り上げようとしている人間にとっては非常に重い宣言であり、社会的責任があるんだという自覚をさらに持たなければならないと感じました。

ゼッターランドゼッターランド
私は日本で競技を始めたのですが、学校でバレーボールの部活動に入り、その後アメリカでナショナルチームを経験し、日本に帰ってきてからは企業スポーツを経験しました。当時の企業スポーツは危機的状況で、休部と廃部の両方を経験しました。
そうした中で、「日本にとってスポーツっていったい何なんだろう」ということを考えつつも、アスリートとしてそれに対する答えを見つけるのは難しいことでした。この15年ほどはそのことを自分に問いかけ続けました。そこへ新しくこうした宣言が出されたわけです。これまでは、はっきりとした言葉による方向づけが、あったようで実はなかった。それをあらためて文章化し、発信していくということについて、私自身、とてもよかったなと感じています。

橋本
私も「よかった」というのが最初の実感です。日本はあまりにも発展しすぎて、この100年、特に戦後は、発展には必ずしわ寄せが生じることを気づいていなかったように思います。もはやスポーツだけをやっていればいいという時代ではなく、日本のあり方というもの、つまり人間としてどういうふうに幸福度を見出していくかということが、これからは問われていきます。
そういう意味で日本の文明の構造改革をしていく時に、スポーツでしかできない構造改革の力があるということに、自信を持たせてもらった宣言だと思います。

佐伯
本当にきちんとご理解していただき、ありがたい思いです。
昨年の東日本大震災の後、多くのアスリートが「スポーツなんてやっていていいのだろうか」と思ったという話を聞きましたが、その自信のなさというのは、自分自身の満足感だけでスポーツにかかわってきたからではないでしょうか。そうではなく、スポーツを通して人類や社会に貢献しているんだという結びつきの自覚があれば、もっと自信を持って課題に挑めると思いますが、そういうものがいままではなかった。
スポーツの文化的価値を社会的に確立するということにもなりますが、それを具体的にするため、スポーツにはミッションがあり、それを実現することで初めてスポーツが文化として自立できるということを、この宣言ははっきりと述べています。
スポーツが持つ大きな可能性を開く上で一番大事な要素は、スポーツ自体が持つ「喜びをもたらす力」を生かして、人類や社会が抱える問題に挑戦して、解決に役立つことです。つまり、「スポーツの楽しみ」を自己満足から自己実現に成熟させ、さらにそれを社会的貢献へ、そして社会的使命へと発展させるということですね。

地域に勇気を届ける

橋本 橋本
私自身も言われてきたことですが、どうしてもスポーツ人は、「スポーツばかりやって…」と思われがちです。バブル経済が崩壊した後、大きなチームを持っていた企業で300社、小規模なものを含めれば2000社がスポーツから撤退したことで、優秀な選手が放り出されてしまった時期がありました。
その時に考えたのは、本当に求められる人材であれば、放り投げられないだろう、ということ。社会がスポーツに理解がないからとか、この国のスポーツ文化が未熟だからというのではなく、スポーツをする自分たち自身がどうすべきか、ということが大事だったはずではなかったかと思います。

震災後に芸術や文化、スポーツ界の人が一番先に行動を起こしたということは、まさに私たちが内に秘めている力なのだろうと思います。
どれほど政治が力を発揮しても心をひとつにすることは多分できません。でもスポーツは心をひとつにできる力を持っている。それが、今回の震災後に表れたと思っています。 国力とは人です。たくましい人間をいかに多くしていくかと考えた場合、いまの日本で誇れる人材を作り上げるのは、おそらくスポーツでしかあり得ないと思っています。そして誰かがやってくれるのを待つのではなく、スポーツ界が自ら素晴らしい人間を作っていこうとしなければなりません。
この国の人材作りはスポーツ界が担っているのだという使命感を、まさにスポーツ宣言は表しています。それが真剣にできる国になれば、すごく変わるだろうな、と。

ゼッターランドゼッターランド
地域におけるスポーツの発展とスポーツのもたらす役割については、いろいろ考えさせられるところがあります。
よくインタビューなどで、「夢や感動を与えられるように」という言葉を聞きますが、私はスポーツとは果たして「与える」立場なのか、ということを強く意識します。地域や子どもたちに対して、与えるのではなく、何を「届けられる」のか、また届けた時にどう感じてもらえるか、ということのほうが大事ではないか、と。価値あるものを届けることで初めて、受け取ってもらった側に感動や勇気が生まれると思います。
これまで地域に密着しようと取り組んできた中で、どうすれば本当の意味で地域に根ざしていけるのか、また末永く愛される存在になっていけるかを、真剣に考えるきっかけになったのがあの震災でした。
先日、卓球の福原愛さんがインタビューを受けた際に、「勇気を届けたい」と話されるのを聞いて安心しました。スポーツ界が自発的に何かに取り組んでいく上で、アスリートの中で何かが変わろうとしている、そういう明るい兆しを感じました。

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