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私の「フェアプレイ」論

溝口紀子に聞く 

私の「フェアプレイ」論
 
 静岡文化芸術大学 文化政策学部国際文化学科 准教授、
バルセロナ・オリンピック女子柔道52㎏級銀メダリスト

指導者は、表現力>競技力


──実際にフランス人の選手を指導されていて、ここは日本人とは全く違うな…と実感されたところはありましたか?


溝口 フランス人は、初対面からいきなり「ノリコ!」です(笑)。「先生」とか「コーチ」という呼び方はしない。いい換えれば、会った瞬間から友達感覚というのでしょうか。一方、日本人の場合は、最初、指導者と選手とはとても遠い距離にいて、それを徐々に縮めていきながら信頼関係を構築していくというのが一般的ですから、最初は正直、面食らったものです。コミュニケーションの取り方がまるで正反対だな、と。


──ということは、先ほど、先生がおっしゃった「ただ強いだけではダメ…」という柔道の価値観を理解してもらうのも、大変だったのではないでしょうか?


溝口 私に対して、いくら高い技術をもっているからと期待されても、つまるところ指導者はそれを伝える技術、いわゆるプレゼンテーション能力を備えていなければ通用しないな…ということは、すぐに実感できました。そういう意味で、とても大変だったのは言葉の壁、すなわちフランス語です。私のフランス語なんて日常会話に毛が生えた程度ですから、そんななかでプレゼンテーションをしていかなければならないということでは、相当に頭を悩ませました。身ぶり、手ぶりも交えて「こうだから、こんな感じで…」と、フランス語ではComme ça(コムサ)というのですが、「コムサ、コムサ」を連発して指導していたら、「ノリコ、コムサだけじゃわからない。もっと具体的に教えてほしい」と(笑)。確かに、感覚なんて自分にしかわからないし、その感覚や心の在り方を習得するために、誰もが何度も何度も練習を積み重ねてきているわけですからね。


──そういう意味では、自らの指導を顧みるよい機会にもなったわけですね。


溝口
 ある日の指導では、「ノリコ、今からあなたに20分の時間を与える。その20分間のなかで、技のデモンストレーションを行ってみて」と。すなわち、指導者としての実力、いわゆる指導技術のプレゼンテーション能力がいかほどのものか、試そうとしているわけです。


──どのように対応されたのですか?


溝口 とっさにこう考えました。もし私が選手の立場だったら…と。ここで、だらだらとしゃべっても選手には響かないはず。したがって、まずは目的を簡潔に伝え短い時間のなかでも変化に富む内容をプランニングしなければならない、と思って臨みました。今、振り返ってみると、指導者自身も、1日1日、あるいは1回1回の指導が、まさに真剣勝負であったということです。その結果、「わかりやすい言葉で、例えを使って簡潔に」──これが、私自身がフランスの指導現場で学んだ、最も意義のある教え方だというところに行き着きました。指導者は、表現力>競技力だ、と。


──日本の指導現場では、指導者の実力がプレゼンテーションによって診断・評価されるという話は、あまり聞いたことがありません。それにしても何の予告もなく、いきなり本番とは、なかなかもってしびれるシーンですね。


溝口 でも、実はそういう場面を経験させてもらったから今の私があると思っています。度胸もますますすわってきた(笑)。そういう点では、日本の指導者には、現状にあぐらをかいているところ、あるいは緊張感に欠けているところがあるのではないか、といえるかもしれません。選手も真剣勝負なら、指導者も真剣勝負で臨まなければならない。互いの信頼関係というのは、そういう間柄であってこそ初めて、構築できるのではないでしょうか。

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